お勅使の伝説

  志都呂幼稚園の上から、園児の写真を撮って 横を見たら石碑がありました。
お勅使の伝説
   石碑に  「 民間にしばしのあいだくつろぎて昔ながらの御勅使の松 」 とあり
   いわれを調べてみました。
     平安時代」(1000年前) 白川天皇は、毎年京都からはるばる大久保にある
     勅願の観音堂に、勅使を参向されていました。
     その時の上陸の目印として湖辺州川畔 ( 新川 )に大きい松がありましたが、
     暴風で倒れたり、枯れたりして3代目の松がこの高台にあったそうです。
志都呂団地の北にある 王子( 皇子)が谷
お勅使の伝説
    承暦元年(1077年)に 皇子の敦文親王(6歳)を勅使として当地に向わされました。
   旅の疲れもあってか 志都呂に上陸したら重い疱瘡(天然痘)にかかり亡くなられました。

乳母ケ池 (現在は干上がってしまい 池はありません) 左向こうは機械技術工業団地
お勅使の伝説
 この時のお付の乳母は、ここにあった池に日夜 身を清めて皇子の回復を祈願されましたが、
   ついに亡くなられました。
   乳母は、大変心を痛め、皇子を慕う気持ちが強く、この池に身を投じてなくなったそうです。

悲しい出来事を紹介しました。 稲葉誠一
 


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