
佐鳴湖の東岸へ降りると、水鳥が並んで休んでいました。

そこから北へ向かって行くと、さざんかの並木があり、見事に咲いていました。

次に見かけたのが、これらの石でした。

湖岸の木の根が露出しており、石がまだありました。
このあたりは、家康が浜松城を築くとき城の石垣用として、湖西市知波田付近で切り出した石を、
舟に乗せて浜名湖⇒佐鳴湖の北東岸に陸揚げした場所なのです。
残念石として残っていた石がたくさん並んでいたのを、湖岸整備のとき埋めてしまったのです。
私の推測では、湖岸の木の根が出る位の侵食により、その石が出てきたのではないでしょうか
(生物であれば、DNA鑑定により知波田の石かどうか特定できるのに・・・・・)

どなたか、浜松城の野面積みの石垣と見比べてみてください。
おまけの1枚です

家康君花壇(レインボーいりの)が出世しました。
お目目が入り、ちょんまげもつきましたよ。
フォト・エッセイは、稲葉誠一でした。